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つれづれなるままに、お気楽辛辣に言葉の綴れ織り


by emico_3
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夭折した映像屋が遺したもの

<“夭折”は、成熟する前に亡くなること。
  成人になる前。一人前になる前。その筋で大物となる前に亡くなった時を表す>

今日は、わたなべぢゅんいち氏への追悼本を改めて読んだ。
頂いた時、さらりと流し読んだのだが、改めて目を通せた。
インタビューした人たちの名前が、懐かしく、わたなべ氏の声で思い起こされる。
アニメ界を知る人がいたら、そうそうたる顔ぶれだ。

「~~~~ってヤツがいてね」

彼は得意げに、自分の知り合いや友人を語る。
本当に誇らしげに。
気持ちの良い男だな・と、私は年下でありながらも、彼をそう清々しく感じていた。
でも、良いことばかりを聞いていた訳ではない。
良いところと悪いところ。
どちらも話してくれた。

「ここを直せば、こいつはスッゴク伸びるんだぜ」

どうして直せないの?

「会社の方向性もあるしさ、業界の古さもあるから、尖り過ぎても潰されちゃうンだ
よ。それが辛いトコだな」

自分は?

「ヲイラはね、仙人だから、いいの」

照れ隠しと、憤懣やるかたない事象にぶつかると、彼はいつもこう云った。
逃げもあったと思う。若さゆえに、駆け引きも出来ない位、青臭い理想に燃えていたからだとも思う。

彼は、私に当時のアニメ界の現状を、レイヤー毎に解説してくれた。
私がまだ当時、手形割引の会社を経営し、金融業界ならではの、ダーティな部分にも精通せねばならないバックボーンも理解していた彼は、

「こいつは何を話しても大丈夫」

と、安心していたのかもしれない。
プロデューサー養成講座に等しいくらい、金の流れから分配、スポンサーの思惑。業界の方向性etc。
あらゆることを語って聞かせてくれた。時に、業界タブーのことまで教えてくれた。
私は当時の大蔵省の、所謂“町金”への監督や条例施行の落とし方から、現在の闇金と云われるアウトローの闊歩が見えていたので、金融業の看板を返上する準備を進めていた。
新たな貸し付けを積極的に行わなければ、それなりに時間は生まれるので、漫画の原作をやってみたり(地方新聞連載だった)、松竹で脚本を習って映画製作の現場に触れてみたりと、仕事の合間を縫って、クリエイティブ産業の現場をチョイ噛みしたりもしていた。
が、松竹や、他で師事していた東映出身のプロデューサーには、プロデューサーになれと勧められた。
金を管理して、現場を引っ張れる人材が、映像業界には皆無に等しいと。
現実、原作やらゴーストまでやっていた私だから、書くことで食べても行けようが、枯渇しているポジションを埋める気はないかと、本気で口説かれていた。
同じことを、私はわたなべぢゅんいち氏からも云われた。
だが、“好き”を仕事にする勇気は、私にはなかった。
後継ぎとして育てられ、経営者として走っていた私には、業種を変えようとも、経営者の道を捨てることができなかったのだ。

金やルートを集める能力もまた、プロデューサーの資質と能力。

私はこちらで協力できると、わたなべ氏に云った。
そう。
私が彼と入魂になった理由の一つは、

『恩田尚之の評価を上げたい』

と、云う、共通の理想があったのだ。
私は海外へのルートを持っていた。
「売り飛ばそう」と、二人、虎視眈眈だった。御本尊の本人には逃げ回られて形にならなかったが(笑)。

そんな共犯めいたモチベーションがあったのと、“業界外の、何言っても堪えない女性”であったから、話がし易いこともあったのだと思う。

実際、ご家族をどう思っているのか、好きな女性のタイプや、過去の恋愛、いま、ちょっかいを掛けている女の子の話だのも、夜中1時を過ぎての電話でとうとうと聞かされた。

追悼本を読んでいる内に、私は、業界人〈わたなべぢゅんいち〉と、『渡邊淳一』の二人と、話をしていたことに気が付いた。
『恩田尚之を、業界を、マネジメントしたかった@わたなべぢゅんいち』と、『男@渡邉淳一』の顔を見せてくれていたのだ。
インタビュアーの大野まいこ女史から、彼の関係先から、女性が出てきたのが初めてだと驚かれた。
恩田尚之氏、岩滝智氏の二人との関係を紡いでくれて、この二人が、ことあるごとに連絡をくれるから、門外漢がぼや~っと登場してしまっているのに過ぎない。

でも、私はこの追悼本を、一人の広告代理店のプロデューサーに預けた。
昔、恩田さんと岩滝さんと、伊豆に伊勢海老を食べに行ったこともある人だ。
彼は、BMWのCMの仕事なども手懸けた辣腕家。

「戦死したとも云える。
 外資にファンドを組んで貰って、彼が理想とした制作環境を創るのも、私は意義のある弔い合戦だと思う」

と、話した。

「面白そうですね。ファンドを使うって云うのは」

興味を示してくれた。
一人の人が蒔いた種は、耕す人間の手に託されたのだ。

正しい経営体制の中で、クリエイター達が仕事をすることができなければいけない。

わたなべぢゅんいちが一番業界に求めていたのは、実はそのことなのだ。
こうした先達がいたということを、これからの若いクリエイター達に知ってもらいたいと思う。

足掻け。
そして、自分の望むものを手に入れろ。

人として生き抜くために。
by emico_3 | 2008-02-04 18:31